歌詞の意味を考察
サイコキネシスの可能性を信じるだけなら平和である
amazon music はこちら |
現実離れした印象を受けます。普段の生活で、サイコキネシスに可能性を感じることはありません。
ただ、念力があったらなぁと、妄想に耽ることはあります。
個人的に、サイコキネシスを切望したのは、痛風が発症した時でした。親指の付け根に激痛が走ると、歩くこともままなりません。
だから、手招きで食べ物を引き寄せる願望が生じるのです。当時は、大真面目でしたが、思い返すと馬鹿らしいですね。
なので「サイコキネシスの可能性」の世界観を考えると、喜劇風なそれを想像してしまいました。
もちろん、主人公が、痛風で悶絶するとは思えません。
ただし、サイコキネシスを使うことで、何を切望しているのかが気になります。
次の歌詞で、「僕」が妄想を膨らませていることがわかりました。
君からおいで 僕の両手の中へ・・・僕は念力でLove me!
念力で、「君」の心を操りたいということでした。サイコキネシスを使って「君」との恋愛を成就させたがっていることになります。
下らないと言えば、下らないでしょう。
ですが、好意を持った時は、誰しも相手を振り向かせたいと思うのは、当然のことだと思いました。
ましてや、会話の糸口すら掴めない小心者であれば、確かに、念力に頼りたくなります。
ただ、「僕」が、このまま妄想に耽るだけにならないかが心配でした。
「サイコキネシスの可能性」を考えたところで、「君」との仲が進展するとは思えないからです。
また、妄想に耽るにしても、独り言を延々と呟いていては、恋を成就させるどころか人間性を疑われる恐れがありました。
例えば、次の歌詞のような「僕」は、危うい行動と言えます。
知らない間に君が目の前にいた 僕の声が通じたらしい・・・なんかきょとんとしてる 何を話そう 僕は困ってそっと呟いた Love me!
「君」にとって「僕」の存在は、理解を超えているのでしょう。だから、きょとんとしたのです。
なのに、「僕」は、Love me!と呟いてしまうという愚行を犯してしまいました。
「君」の思案顔が、憂い顔に変化する可能性が高まっていることは想像に難くないです。
では、Love me!と呟いてしまった「僕」に対する「君」の変化はどんなものだったでしょうか。
「君」の反応は書かれていませんでした。「僕」の妄想が綴られているだけです。
願いはいつも小さな念力 ずっとずっと想っていたら通じるかも・・・君からおいで 僕は祈るしかない
この歌詞で、心にひっかかるのは、「僕」が行動を起こさないことでした。もちろん、告白には勇気を必要とします。
ですが、目を見て挨拶するだけでも、十分ではないでしょうか。
だから、願いという小さな念力で恋が実るとは思えないのです。小さな念力より小さい行動が「僕」に必要だと思いました。
終わりに
日向坂46を卒業した柿崎芽実さんが、送別セレモニーで、ストーカー被害を報告したようです。また、乃木坂46合同会社が、ファンに対する迷惑行為防止のお願いを、公式ホームページに掲載しました。
ストーキングは、坂道グルーブファンにあるまじき行為です。推しグルーブの笑顔が損なわれるのは、胸が痛くなりました。
坂道グループの存在そのものが、芸術作品です。芸術作品を理解するという鑑賞力が足らない人間が、柿崎芽実さんの卒業を招いたと思いました。
だから、妄想をこじらせてストーカー化するくらいなら、サイコキネシスの可能性を信じて、念力でLove me!と呟く方が平和です。 終わり
■サイコキネシスの可能性■
乃木坂46 「サイコキネシスの可能性」は、2013年春に発売された5枚目のシングル「君の名は希望」のカップリング曲でした。
歌詞は秋元康さん。
歌詞は秋元康さん。