【歌詞考察】長濱ねるソロ曲『100年待てば』。100年待てばとはどういうことか? | のら猫ひろしが坂道のぼる (のら猫ひろし)

【歌詞考察】長濱ねるソロ曲『100年待てば』。100年待てばとはどういうことか?

歌詞の意味を考察・・・タイトルの意味を考える


100年待てば片思いは進展するかなという主人公の気長な性格

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100年待てば
歌詞には、路面電車が登場します。

この路面電車と長濱ねるさんの組み合わせから、長崎の路面電車を想像しました。

長濱さんの写真集「ここから」は、撮影の舞台が彼女の出身地である長崎となっています。

10度目の重版で20万部超とは凄いですね。そして、路面電車を背に長濱さんが微笑んでいる写真がありました。

長濱さんはエンタメニュースサイトのモデルプレスの取材を受けていて、よく乗っていたという路面電車との写真もアップされています。

『100年待てば』の世界観も、その写真のような画を想定していると思いました。

ここで、なぜ『100年待てば』に路面電車が登場しているのでしょう。

それは、路面電車のゆったりとした速度が、主人公の穏やかな性格を表しているからでした。

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路面電車がゆっくりと止まる音が好き急いだってしょうがないよって脱力したその感じ、という歌詞には、主人公の心境が投影されています。

その心境は、続く歌詞の、恋はいつだってなるようにしかならない、とか、彼については今以上に距離も縮まらず、という歌詞でわかりました。

主人公は片思いをしているのです。

だから、「彼」と一緒に乗っているであろう路面電車が、歌詞に登場しているのでしょう。

「彼」と一緒に乗っている路面電車のように急がなくても構わないと主人公は思っているのです。

主人公が、のんびりとした性格であることが分かりました。

長崎の路面電車


100年経っても好きでいられる

そして、100年待てば以外にも、100年経って、とか100年くらいという歌詞がありました。

100年経ってという歌詞を考えてみます。

主人公は、100年「彼」を好きでいられる自信はあるようでした。しかし、「彼」との恋は実りそうにない不安を抱えているように感じます。

その不安の表れが、100年経ってどこかで会いましょうという表現になっているのだと考えました。

また、100年くらい、という歌詞にはどんな感情があるのでしょうか。

くらい、はおおよその分量や程度を表しますが、ここでのくらい、はある事柄の程度が弱いと考えられます。

そうなると、そのくらいできるし、というようなニュアンスが感じられました。

100年? 余裕っしょ! という感じでしょうか。

もしかしたら、100経っても好きでいる自信はあるけれども、100年の間、「彼」に振り向いてもらえない状況を想像してしまったのかもしれません。

だから、弱々しく100年くらい好きでいられる、あるいは強がりで100年くらいとなっているのかもしれません。

終わりに

100年待てば、からは「彼」を思い続けられる自信。100年経って、からは「彼」に振り向いてもらえない弱気。100年くらい、からは「彼」に振り向いてもらえなくても構わない強がり。

というように歌詞を追っていくと、主人公の心の揺れを感じます。学生の頃の恋愛感情を思い起こさせる歌詞でした。 終わり


■100年待てば■
長濱ねるさんのソロ曲『100年待てば』は、欅坂46ファーストアルバム「真っ白なものは汚したくなる」(2017)に収録されています。作詞は秋元康さん。

『100年待てば』というと、「欅共和国2018」のライブ中での長濱ねるさんのエピソードが面白いです。

長濱さんが『100年待てば』をソロで歌っていたら、観客席に歌舞伎役者の中村勘九郎さんを発見して、つい会釈してしまったという出来事でした。