『櫻坂の詩』歌詞の意味を考察
櫻坂46「BAN」通常盤/Amazon |
今記事の歌詞考察の内容は、以下の通りです。
- 歌詞の概要
- 自粛が明けたと思ったら卒業式を迎えたような寂しさ
- 寂しくなった時は、ショーペンハウアーの厭世観
『櫻坂の詩』歌詞の概要
主人公は「君」と会えない日々が続いていた。「君」は夢を叶えるため主人公の元から離れていく。「君」と一緒にいられることは当たり前ではないのだと悟った。でも、桜の木の下にある坂にいると「君」と再会できそうな錯覚に陥る。
自粛が明けたと思ったら、卒業式を迎えてしまったような切なさ
歌詞が、自粛が明けて仲間と再会した人の心境のようでした。
例えば、次の歌詞。
当たり前だと思ってた普通の日々が当たり前なんかじゃなかったなんて…君と会えなかった今日まで 心にぽっかりと穴が空いてた 本当の寂しさって 誰もいないことじゃなく大切な人と会えなくなること 何があったかなんて分からないけど 君ならきっと乗り越えられるよ
主人公は、「君」を想っていますね。ほのかな恋心を寄せているようにも感じられました。さらに、次の歌詞が、再び「君」と離れ離れになることを予感させます。
ふと思い出すように 僕らは この坂に集まって 君のこと語り合えば また会える気がしてくる
孤立感に苛まれた時は、ショーペンハウアーの厭世観が役立つ
孤立感に苛まれたら、どうすれば良いでしょうか。
哲学者・ショーペンハウアー(1788~1860)のような境地(孤独を愛するという厭世観)に達するのが良いですね。
私は、厭世的な考え方に共感を覚えています。だから、孤立感に苛まれたことはありません。
もちろん、人と触れあいたいという欲求は、あります。ですが、寂しいから人と一緒にいたいと考えるのは不健全です。
自分を押し殺して相手に合わせても、余計疲れるだけです。
相手の顔色を伺って人間関係を築いても、孤立感を払拭できているのか疑問を抱きます。だから、自分だけで孤立感を解消する術を考えるべきなのです。
終わりに/『櫻坂46』の主人公は思慮深い
自分だけで幸福感を得られる状態でも、なお会いたい人がいれば、それは群れたいから人と一緒にいたいという浅はかな関係ではないことになります。
『櫻坂46』の主人公は、「君」と会いたがっていますが、群れたいから「君」と一緒にいたいとは考えていません。
例えば、次の歌詞。
誰にも言えない悲しいことだってあっただろう 遠くから見てて心配した 僕らにできることは何もなくて 君自身が立ち上がるのを待ってた
「僕」は、相手の置かれている状況を鑑みて「君」を見守っています。世の中こんな人間で溢れていれば良いですね。
『櫻坂の詩』は、櫻坂46 2nd Single「BAN」の通常盤に収録されています。歌詞は秋元康さん。