タイトルに〈その鐘〉とあります。〈その鐘〉ってどんな鐘?という疑問が生じました。鐘のイメージが湧けば、誰がそれを鳴らすのか想像しやすいでしょう。
タイトルにある〈その鐘〉は、鳴らすことで自分の怒りが収まる鐘と解釈しました。
ちなみに、『誰がその鐘を鳴らすのか?』は、配信限定ラストシングルです。2020/8/21 に配信スタートしました。歌詞は、秋元康さん。
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鐘を鳴らして収めるべき怒りとはどういった状況でしょうか。それが分かる表現が、次の歌詞にありました。
際限のない自己主張はただのノイズでしかない
際限のない自己主張を繰り返す人は、怒りに襲われている印象しか持ちません。
そんな人がぶつかると、喧嘩など争いが勃発します。
その喧嘩はいつ終わるの?喧嘩している当事者の一人が引かないと終わらないでしょう?と感じます。
その疑問を言い換えたのが、タイトルの『誰がその鐘を鳴らすのか?』だと思いました。
もちろん、自分自身が、周囲との軋轢を避けて穏やかに過ごしたいと思っても、難儀なことです。
世の中には、自分の思い通りにいかないと感情的になる人がいるからです。
そして、自分まで、怒りを感情任せに爆発させてしまっては、人とぶつかるだけです。その争いは、他人から見れば、歌詞にあるように〈際限のない自己主張〉で〈ただのノイズでしかない〉でしょう。
普通に歩いていて、対向する人を避けるために止まった時です。突然、〈止まるな〉とか〈何で止まるんだ〉と後ろで誰かがわめきました。
少し、距離を置いて、振り返りました。声の主は、自転車に跨ったスキンヘッドの中年男性で、こちらをじとっと睨んできます。
目が合うとまた、声を荒げました。そんな彼が、自分とは違う生き物に見えました。
もちろん、最初は、腹は立ちましたし、言い返そうと思いました。ですが、この時、脳裏を掠めたのは自分が反論することで、相手が逆ギレして刃傷沙汰になってしまうことです。
それを恐れただけなので、怒りのコントロールが出来たわけではありません。私は、〈スキンヘッドの中年男性に、言い返して反撃されたら・・・〉とネガティブな想像をしてそそくさと逃げ出したチキンです。
ただ、理想としては、歌詞のように〈際限のない自己主張はただのノイズでしかない〉と達観して、スキンヘッドの怒りに任せた言葉を華麗に受け流すことができれば良かったでしょう。
そう考えると、際限のない自己主張はただのノイズでしかないという歌詞に【怒りの感情をコントロールしなさいよ】という秋元康先生のメッセージが込められているように感じました。
それが、ただのノイズでしかないから、自分を律するための〈鐘〉を鳴らす必要があると考えます。
つまり、【自分で、怒りの感情をコントロールしなさい】と秋元康先生は、言っているのです。
それは、【鳴らすことで、自分の怒りをコントロールできる自分なりの〈鐘〉を持ちなさい】と言い換えることができます。
怒りに任せた言葉の応酬は醜いですし、それが目に余る状況を秋元先生は見てきたのではないでしょうか。そして、醜い争いが収まる鐘があったらなあと考えたのではないでしょうか。
秋元先生は、人間の感情的な争いに辟易したのかもしれませんね。
ちなみに、怒りをコントロールできるスキルとして、有名なアンガーマネジメントがあります。
そのスキルのコツのようなものに、有名な【借りてきた猫】が当てはまるなと感じました。
怒りが収まる鐘を【自分が】鳴らすことで、借りてきた猫になりましょう。 終わり
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鐘はどんな鐘なのか⇒鳴らすことで自分の怒りが収まる鐘
鐘を鳴らして収めるべき怒りとはどういった状況でしょうか。それが分かる表現が、次の歌詞にありました。
際限のない自己主張はただのノイズでしかない
際限のない自己主張を繰り返す人は、怒りに襲われている印象しか持ちません。
そんな人がぶつかると、喧嘩など争いが勃発します。
その喧嘩はいつ終わるの?喧嘩している当事者の一人が引かないと終わらないでしょう?と感じます。
その疑問を言い換えたのが、タイトルの『誰がその鐘を鳴らすのか?』だと思いました。
もちろん、自分自身が、周囲との軋轢を避けて穏やかに過ごしたいと思っても、難儀なことです。
世の中には、自分の思い通りにいかないと感情的になる人がいるからです。
そして、自分まで、怒りを感情任せに爆発させてしまっては、人とぶつかるだけです。その争いは、他人から見れば、歌詞にあるように〈際限のない自己主張〉で〈ただのノイズでしかない〉でしょう。
怒りをコントロールする必要があると感じた出来事
際限のない自己主張はただのノイズでしかない、という歌詞で、思い浮かんだ出来事があります。普通に歩いていて、対向する人を避けるために止まった時です。突然、〈止まるな〉とか〈何で止まるんだ〉と後ろで誰かがわめきました。
少し、距離を置いて、振り返りました。声の主は、自転車に跨ったスキンヘッドの中年男性で、こちらをじとっと睨んできます。
目が合うとまた、声を荒げました。そんな彼が、自分とは違う生き物に見えました。
もちろん、最初は、腹は立ちましたし、言い返そうと思いました。ですが、この時、脳裏を掠めたのは自分が反論することで、相手が逆ギレして刃傷沙汰になってしまうことです。
それを恐れただけなので、怒りのコントロールが出来たわけではありません。私は、〈スキンヘッドの中年男性に、言い返して反撃されたら・・・〉とネガティブな想像をしてそそくさと逃げ出したチキンです。
ただ、理想としては、歌詞のように〈際限のない自己主張はただのノイズでしかない〉と達観して、スキンヘッドの怒りに任せた言葉を華麗に受け流すことができれば良かったでしょう。
そう考えると、際限のない自己主張はただのノイズでしかないという歌詞に【怒りの感情をコントロールしなさいよ】という秋元康先生のメッセージが込められているように感じました。
最後に・・・『誰がその鐘を鳴らすのか?』は、アンガーマネジメントの勧めである
私は、際限のない自己主張という歌詞を、怒りに任せた売り言葉に買い言葉と解釈しました。それが、ただのノイズでしかないから、自分を律するための〈鐘〉を鳴らす必要があると考えます。
つまり、【自分で、怒りの感情をコントロールしなさい】と秋元康先生は、言っているのです。
それは、【鳴らすことで、自分の怒りをコントロールできる自分なりの〈鐘〉を持ちなさい】と言い換えることができます。
怒りに任せた言葉の応酬は醜いですし、それが目に余る状況を秋元先生は見てきたのではないでしょうか。そして、醜い争いが収まる鐘があったらなあと考えたのではないでしょうか。
秋元先生は、人間の感情的な争いに辟易したのかもしれませんね。
ちなみに、怒りをコントロールできるスキルとして、有名なアンガーマネジメントがあります。
そのスキルのコツのようなものに、有名な【借りてきた猫】が当てはまるなと感じました。
- か⇒感情に左右されるな
- り⇒理由を述べる
- て⇒手短に話す
- き⇒キャラクターに言及するな
- た⇒他者と比べるな
- ね⇒根に持つな
- こ⇒個別に怒りをぶつけるな
怒りが収まる鐘を【自分が】鳴らすことで、借りてきた猫になりましょう。 終わり
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