歌詞の意味を考察
主人公の自己犠牲精神あふれる「好き」に共感
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歌詞には、以下のように書かれていました。
夕立なら腕の中に抱きしめよう 雨が降っても僕が濡れればいい 好きということはこういうことだろう?
「僕」は、自分だけ濡れれば良いと考えています。彼にとっての「好き」は、自己犠牲の精神といったところでしょうか。
「僕」の自己犠牲精神溢れる「好き」に共感できました。
そして、私の不甲斐ない恋愛を思い出します。自分が付き合ってきた恋人に対して、自己犠牲の精神を発揮できたか心許ないからでした。
いつも思い浮かぶのは、20代の頃に付き合った同年代の恋人の「喋らないよね!」という台詞でした。
私は、口下手なのです。一生懸命、言葉をつなげる努力をすれば良いのですが、段々と顔を合わせるのが苦痛になりがちでした。
当然、振られました。今になって思うのは、口数も少ない上に愛情表現が乏しければ、愛想を尽かされるのは当たり前だということです。
主人公は、『非言語コミュニケーション』に長けている
そして、主人公の「僕」は私とは、真逆のタイプで『非言語コミュニケーション』に長けていると感じました。「僕」は、ネガティブな気分に支配されつつも、行動がポジティブなのです。
例えば、次の歌詞で、「僕」はブルーな気分に陥っています。
降って来ると思わずロマンティックな気分だったのに
雨のせいでタイミング掴めない好きと言えなくて
雨に降られてずぶ濡れですね。私であれば、そのまま帰宅することでしょう。ですが、「僕」は、ポジティブな行動を取りました。
もうこうなったら開き直って
抱きしめ合えば僕らの世界
「君」が「僕」に好意を抱いているならば、愚痴をこぼす彼より、不器用に抱きしめられた方が好感触でしょう。
会話している相手が、眉間に皺を寄せていたりそっぽを向いていれば、気分が良くないことを思えば当然ですね。
もし、付き合っている恋人がそのようなネガティブな反応を示せば、気持ちが冷めてしまいます。
やはり、一生懸命にコミュニケーションを図ろうとする「僕」には好印象しかありません。
なので、愛情をストレートに表現する「僕」に共感できました。 終わり
■好きということは・・・■
日向坂46 一期生曲『好きということは・・・』は、4枚目のシングル「ソンナコトナイヨ」(2020)に収録されています。
作詞は秋元康さんでした。
作詞は秋元康さんでした。