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歌詞は秋元康さん。歌唱メンバーは、北野日奈子・寺田蘭世・堀未央奈の3人です。
綿埃は、たまった埃が綿状になっているものでした。
吹いたら、埃になって散らばるような印象があります。埃に対しては、ネガティブな感情しか持ちません。
だから、「ワタボコリ」の主人公が、日常生活に疲れているように思いました。
吹いたら、埃になって散らばるような印象があります。埃に対しては、ネガティブな感情しか持ちません。
だから、「ワタボコリ」の主人公が、日常生活に疲れているように思いました。
歌詞考察・・・「ワタボコリ」のような存在とは何か
ゴミではないけれども、誰にも気づかれない軽い存在
「ワタボコリ」の世界観を、最初は、グラッドストンの「財宝も地位も愛に比すれば塵芥(チリアクタ)のごとし」に近いものだと思いました。
経済的に、恵まれている主人公が、恋だけは思い通りにならない世界観を想像したのです。
ですが、次の歌詞を見ると、「僕」は自分のことを埃のような存在と捉えていました。
仕方がないから歩いて来たけど 僕の人生なんてちっぽけなんだ
自分の存在が、埃のように存在価値がないと言いたいのでしょう。
だから、「財宝も地位も愛に比すれば塵芥(チリアクタ)のごとし」の世界観にはならないと思いました。
では、何をきっかけとして「僕」は自尊感情を失ったのでしょうか。
「ワタボコリ」の「僕」は自分を否定的に捉えていますから、失恋でもして、自分の存在価値を疑ってしまったと想像します。
「ワタボコリ」の歌詞に次の表現がありました。
風に吹かれてサヨナラ ワタボコリ ワタボコリ どこかの大事な人に ワタボコリ ワタボコリ僕の命をあげる
ストレートな歌詞でした。「僕」は非常に危うい精神状態にあると想像できます。
ワタボコリ僕の命をあげるという歌詞から、野口雨情が詞を書いた「シャボン玉」(1922)の切なさが思い起こされました。
野口雨情の長女みとりは生まれて直ぐに亡くなっています。
ただ、野口が誰を想って「シャボン玉」を書いたのかは、本人も言及していません。
だから、彼が書いた、シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐにこわれて消えた、の歌詞に色々な意味を推測してしまうのでした。
シャボン玉の楽しさではなく、儚さに着目せざるを得ない野口雨情の精神状態を想像してしまうのです。
「ワタボコリ」の、産んでください頼んだわけじゃないよという表現からも、似たような切なさが感じられました。
終わりに・・・TIME FOR CHANGE(変わる時)
歌詞が、僕の命をあげると終わっていますから、「僕」は救いようのない精神状態にあります。ですが、徹底的に落ち込んだら、後は這い上がるだけだという考え方もできました。
そういうことで、「ワタボコリ」のような存在と考えた時は、TIME FOR CHANGE(変わる時)にあると考えて、新しいことに挑戦するのが良いと言えます。 終わり