amazon music はこちら |
歌詞は秋元康さんです。歌唱メンバーは、河田陽菜・濱岸ひより・宮田愛萌の3人でした。
シャボン玉の光は表面の膜だけでなく、内側で反射する光も重なっています。だから、虹色に見えるのでした。
そこに、着目することで、シャボン玉が好きな人もいることでしょう。ですがシャボン玉のイメージは、すぐ消えてなくなる儚さが大きいと思います。
しかし、日向坂46の「割れないシャボン玉」では、割れないのに儚さを感じることができます。
割れないシャボン玉が儚い? どういうことでしょうか。
歌詞考察・・・割れないシャボン玉なのに、なぜ儚いのか?
「君」をシャボン玉に重ねている。風に流されていなくなりそうで苦しい
冒頭の歌詞は、シャボン玉は好きじゃないよ、で始まっています。シャボン玉は儚さの代名詞と言えますから、予想はつきやすいですね。
「僕」がシャボン玉を好かない理由は、続く歌詞でわかりました。
ちょっと浮かんで すぐ割れて消える 儚すぎてついていけない ほんの一瞬の幻想なんだ
やはり、すぐ割れるから「僕」はシャボン玉が好きではないのです。
ですが、タイトルは「割れないシャボン玉」でした。割れないけれども嫌いな理由がありそうです。
浮かんですぐ割れて消える儚すぎて・・・が情景描写であるなら「僕」の気持ちは明るいとは言えないでしょう。
「僕」の気持ちが沈んだ出来事が気になります。失恋を想像してしまいました。
恋が上手く言っていれば、シャボン玉の美しさに着目するはずだからです。しかし、次の歌詞にあるように、失恋しかかっているようでした。
気持ちなんて伝わらないよ・・・愛とは(急に芽生え勝手に膨らんで) シャボン玉だ(自由気ままにフラフラしてるだけ) 愛とは(掴みたくて誰もが手を伸ばす) コントロールなんてできないもの
愛を「君」に置き換えれば、「君」はシャボン玉のように自由奔放であることが想像できました。
また、「君」はシャボン玉のように、掴もうと手を伸ばしてもコントロールができない存在だと考えることもできます。
「君」が、自由気ままな性格であることが分かる歌詞は、まだありました。
気まぐれで付き合いきれないよ・・・君はきっと気づいていない 僕がいたことも・・・
さっきまでそこに飛んでいたよね? ふわふわと
シャボン玉は、目を離せば風に流されて行方が知れなくなるものでした。あるいは、気づいた時には、割れていることもあります。
だから、気まぐれで付き合いきれないよ、という表現になっているのでしょう。
また、いつのまにか割れているのがシャボン玉というものでした。これから「君」との関係が続くのか不安になってしまうことでしょう。
その不安が次の歌詞で表現されていると思いました。
割れない(風に乗ってどこかへ流されて) シャボン玉よ・・・十年後 僕らは何をしてる?
恐らく「僕」は振られてしまうことを予想しているように思えました。でも、君を忘れない、と歌詞の終わりにあります。
これは、シャボン玉のように「君」が消えたとしても、彼女を覚えていることを言いたいのだと思いました。
終わりに
「僕」は、割れるシャボン玉のように「君」が消えていなくなるのではないかと考えています。かといって「割れないシャボン玉」も「君」が風に流されるかのごとくいなくなりそうで、苦しいのでした。
歌詞にも、もしも永遠があったら息苦しいよ、という表現があります。
野口雨情が作詞した童謡に「シャボン玉」(1923)があります。
自分が子どもの頃は、この童謡に、シャボン玉で無邪気に遊んでいる陽気な子どもをイメージしていました。
ですが、根拠のない推測ではありますが、野口が、幼くして亡くなった我が子に対して書いた歌ではないかとも言われています。
そのように考えると、産まれてすぐにこわれて消えた、という歌詞に深い意味をかんじることができました。
野口雨情に比べれば、日向坂46ユニット曲「割れないシャボン玉」はまだ明るい曲と言えます。 終わり