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歌詞は秋元康さん。歌唱メンバーは、伊藤万理華・井上小百合・中元日芽香の3人でした。
主人公は、恋をすると、周りが見えなくなります。
手に持っていたスムージーを溶かすくらいなら、ごめんで済みました。
大人になって恋をしたら、全てを投げうってしまうような危なかっしい性格だと思います。
歌詞考察・・・主人公が謝っている理由
彼に夢中で、スムージーを溶かしてしまった
スムージーはミキサーに、シャーベット状の野菜とか果物を放り投げて、ジュースにしたものです。
さらに、良い人という意味もありました。
なので、最初は、ジュースに謝っているとは考えませんでした。
ですが、歌詞は、次のように表現されています。主人公は、ジュースのスムージーに謝っていました。
偶然彼と会って話してたから 駅のスタンドでせっかく買ったのに 手に持ったまま忘れてた
駅で買ったばかりのスムージーが溶けています。相当長い時間、彼と話し込んでいたことになりました。
スムージーを飲むことすら、忘れるほどに、彼は特別な存在なのでしょうか。
歌詞には、愛は犠牲を払ってもいいと覚悟決めなきゃ掴めない、とあります。
犠牲を払ったのは、スムージーということでしょう。
そして、スムージーが飲めないという覚悟を持って、彼と話すべきだと自分に言い聞かせているようでした。
スムージーを飲みながら、会話すれば良いのに、というツッコミは野暮というものです。
なぜなら、次の歌詞があったからでした。
誰かのことを好きになると もう他のものなんて目に入らなくなる 全部そつなくこなすのは無理 そのうちにどれかを失うのよ
どれかを失うとは、過剰だとも思えます。
スムージーが溶けたくらいで大げさだと感じているから、何かを失うという表現が、オーバーに聞こえるのでした。
ですが、もし、主人公が大人で家庭を持っていたら、どうでしょうか。
スムージーではなくて自分の配偶者が見えなくなるほど、誰かに好意を抱いてしまうと想像します。
なので、主人公の、恋心を抱いたら周りが見えなくなるという性格は危ういと思いました。
例えば、次の歌詞では、ルールが登場します。
自分の暮らしで一番大事にしていたあんなものとかこんなルールとかどうでもいい ピンときた 彼と知り合ってわかままにならなくちゃ しあわせ逃げてしまう 好きにさせて
ルールはどうでもいいという表現は、スムージーを手に持つ学生であれば可愛いと言えました。
ただ、配偶者がいる人物の心境と考えてしまうと、失楽園の世界になってしまいます。
なので、主人公の性格は危なかっしいと思いました。
終わりに
失楽園は、旧約聖書の創世記ではなくて、渡辺淳一氏の小説のことです。渡辺氏の失楽園は、1997年に発売されました。
「ごめんね、スムージー」の歌詞にある、自分の暮らしで一番大事にしていたあんなものとかこんなルールとかどうでもいい、という表現で、失楽園を思い浮かべてしまいました。 終わり