amazon musicで 何度目の青空か? |
また、2014年秋に発売された10枚目のシングルでした。
生田絵梨花さんは、この曲で初めてセンターを務めています。10枚目のシングルで初めてのセンターは意外でした。
歌詞考察
青空のように晴れやかではない「僕」
青空を数える人はいませんし、何度目の青空だろうと考える人はいません。ただ、タイトルから受ける印象を考えてみると「何度目の青空か?」の主人公は、青空があまりにも綺麗すぎて永遠に見ていたいと思ったのかなと考えました。また、青空が綺麗だと思えるほど気分が高揚していたのではないかという印象もあります。受験が上手くいったとか、告白が成功して気分が良いと考えれば、心は青空のように晴れやかだということになります。その想像は合っているでしょうか。歌詞を読むと、主人公の「僕」は心が晴れやかとは言い難いです。
蛇口の水に触れてみたらその冷たさに目を覚ましたよその冷たさに目を覚ましたよほとばしる水しぶき与えられた命は掌に重たかった・・・この次の青空は自分から気づくだろう涙が溢れてても太陽は滲まないさ・・・
主人公は、蛇口から流れる水を手に当てて、冷たいと思いました。そして命が重いと考えています。命が重いと考えるときは、何かに嫌気が差していないと考えません。そして主人公は涙を流しても太陽は滲まないさと強がりにも似た心境になっていることがわかりました。
歌詞の冒頭では、誰かが閉め忘れた蛇口と書いてあります。ですが、歌詞の後半には唐突に「君」が現れていました。次の歌詞です。
目を閉じてみれば聞こえて来るだろう君が出しっ放しにしてる音僕らも空も晴れたわけじゃない
不意に現れた「君」は、主人公である「僕」の弱い部分ではないでしょうか。そう考えると、「僕ら」と表現されているのは、普通の自分と弱い自分をまとめて表現されていると言えます。だから、蛇口の水は、主人公が泣いていることを暗示していると考えました。
そして、「僕」が「何度目の青空か?」と考えてしまったのは、弱ってばかりで俯いてばかりだという自虐的な心境を言っているのだと思いました。俯いてばかりで、青空が視界に入っていなかったのではないかということで「何度目の青空か?」となるのでしょう。
終わりに
「何度目の青空か?」は、主人公が弱気になったままで終わっていません。君はもっと強くなれるよ今を生きるんだ時は流れても僕は流されない・・・とあるからでした。主人公は、自分(僕)で自分(君)を励ましたのだと思います。 終わり