amazon musicで 三角の空き地 |
また、4枚目のアルバム「今が思い出になるまで」(2019)の収録曲でもありました。作詞は秋元康さん。
公式動画サイトではショートバージョンのミュージックビデオが公開中です。アンダーセンターは中田花奈さんでした。毎度のことながら、アンダー曲とは思えない華やかさに満ちています。
歌詞考察
手入れを怠ったというのはどういうことでしょうか。それがわかる歌詞に、花が咲くように愛は生まれ育ちでも日差しがなければ枯れていく水をあげることさえ忘れていたよ2人は愛し合ってたのに、があります。「僕」は付き合って慢心したのです。付き合ったなら、日差しとなって水を与えるような手入れを「君」にしなければならないはずです。しかし「僕」は「君」を蔑ろにしてしまったのでしょう。だから、「君」と逢瀬を楽しんでいた「三角の空き地」が荒れ放題となっているように「君」の心も荒れてしまったと言えます。そして振られてしまったのではないでしょうか。
そしてその後悔が、次の歌詞に表れています。
恋は生きているちゃんと見ていないとすぐ心の形は変わっていく、何も気づかなかった僕のせいだよ
終わりに
心の形が歌詞に登場しています。心の形が三角形であるとするとどんな意味があるでしょうか。心理学者のロバート・スタンバーグの親密性、情熱、コミットメントの3つから成る「愛の三角形理論」があります。
親密性・・・相手を思う感情の大きさ
情熱・・・性的な欲求を含めた相手と関わりたい気持ちの強さ
コミットメント・・・関係を維持したい欲求が強いかどうか
完成された愛は、上記の3つの要素が満たされた状態でした。「三角の空き地」の「僕」は、この3つの内のどれかが足りなかったことで「君」との関係が終わったと考えられます。手入れを怠ったという表現には、「君」に対する感情(親密性)や相手と関わりたい気持ち(情熱)、が感じられませんでした。また、ちゃんと見ていれば良かったという後悔がありますから、コミットメントだけは強かったと言えます。スタンバーグ先生が言うところの、付き合いだけが長かった「虚愛」タイプだったのでしょう。 終わり