FIVE CARDS「僕たちの戦争」歌詞考察。「僕」が強い人間である理由 | のら猫ひろしが坂道のぼる (のら猫ひろし)

FIVE CARDS「僕たちの戦争」歌詞考察。「僕」が強い人間である理由

歌詞の意味を考察


恋愛感情に流されない「僕」

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「僕たちの戦争」は、交際を、彼女の父親に反対されている「僕」の苛立ちが主題となっています。純情ですね。

愛はたったひとつだけだ、信じあうその強さしかない、という歌詞からも、青春を感じました。

「僕」は、彼女の父親から交際を反対されても諦めません。

それでいて、時間が欲しいと泣く「君」を強引に連れていっては傷つけるだけという分別もあります。

男女関係で、駆け落ちなどするという一線を越えてしまう行動を肯定的である見方をするのは、「業の肯定」でした。

やってはいけないことを、欲に負けて行うのは仕方がない、という考えを「業の肯定」といいます。

恋心に従って、彼女を連れ去ろうと考えるのは、まだ可愛いほうでした。

交際を反対されて駆け落ちを、考えるだけなら、青春の甘酸っぱさが感じられます。

この「僕」は青春を謳歌しているなと感じました。

「僕」が偉いのは泣いている「君」を強引に連れていこうとしないところです。そして、懸命な判断だと思いました。

取り合う男女の手

世の中の全ての人間が、清く正しくという生き方ができないのはわかります。

ですが、「業の肯定」という生き方、つまり、理性を保てなくても仕方ないじゃない、人間だものというスタンスで、異性を連れ去るような人に関わったら大変でしょう。

また、「業の肯定」に従うと、心がやすらぐ生き方ができるとされています。

だからといって、何でもかんでも欲望に忠実な生き方をすれば、良いと言うわけでもありません。

なぜかと言えば、泣いている「君」を無理やり連れ出すことは、下手したら犯罪行為になるからです。

そうなると、慰謝料なとの問題に発展することになります。また、罪悪感に苛まれることもあるのではないでしょうか。

だから、「君」を連れて行くのは傷つけるだけだ、という判断は、素晴らしいと思いました。

終わりに

「君」の父親に交際を反対されたことで、「僕」は彼女を連れ出さないという選択をしています。

一時的な感情に惑わされずに、しかも、幸せにするという決意がありながらも、駆け落ちを踏みとどまるのは立派でした。

ですが、駆け落ちをしないという判断をした「僕」は、自分を否定的に捉えています。

ですが、無理やり「君」を連れ出さないという判断をしたことに、無力感を感じる必要はないと思いました。

感情に流されずに理性を保っている「僕」は、決して弱い人間ではないからです。 終わり


■僕たちの戦争■
FIVE CARDS(欅坂46内ユニット)が歌う「僕たちの戦争」は、2016年秋に発売の3枚目のシングル「二人セゾン」に収録されています。作詞は秋元康さん。


FIVE CARDSは、FIVEとあるように5人で構成されたグループです。その5人は、渡邊理佐・渡辺梨加・土生瑞穂・上村莉菜・長沢菜々香となっています。

Wワタナベと、ウエムー・長沢君・土生ちゃん・というように、2つに分かれての歌唱パートとなっていました。

いわば、センターは、Wワタナベといったところでしょうか。 彼女たちの曲がこの1曲だけしかないというのが、残念でした。

Wワタナベは、青空とMARRYも兼任しています。青空とMARRYは、志田愛佳さんが卒業してしまいました。なので、FIVE CARDSの次の曲に、期待したいです。