欅坂46ユニット曲「AM1:27」の歌詞考察。何の時間か? | のら猫ひろしが坂道のぼる (のら猫ひろし)

欅坂46ユニット曲「AM1:27」の歌詞考察。何の時間か?

橋本奈々未さんがラジオで卒業を発表した時間は、AM1時27分でした。

だから、タイトルが「AM1:27」ではないかと言われているようです。

ただし、「AM1:27」の歌詞は、厭世観に満ち溢れていますから、橋本奈々未さんに関係する曲とはなっていないように思われます。

歌詞考察・・・「AM1:27」は何の時間?


「私」がファミレスで孤立感を深める時間

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歌詞には、真夜中のファミレスに行く・・・誘蛾灯みたいな看板、という言葉があります。ファミレスの看板が誘蛾灯の役割を果たしているのでしょうか。

誘蛾灯は、昆虫を誘い駆除する装置です。

ファミレスの看板を誘蛾灯で比喩したことを考えると、「私」は、光に反応して移動していると言えました。

自分を走光性のある虫みたいな存在として、孤独感を募らせているのではないでしょうか。

ということは、「私」は、追い払われるような存在とみなしていることになりました。

あるいは、「私」は昆虫のように取るに足らない存在と考えて、自尊心を全く持っていないとも考えられます。

自尊心は、こじらせると厄介でした。ですが、一時的な落ち込みであれば、問題ないと思います。

問題は、次の歌詞でした。

みんな消えてしまえばいい

誘蛾灯みたいなファミレスの看板に誘われていても、そこに集う人が全て「私」のように孤独を抱えているわけではないでしょう。

翌日が休みで、飲み明かしたい人もいるかもしれません。

そして、No one's there、という歌詞もあります。つまり、「私」は、客がいるファミレスには、誰もいないと認識していることになりました。

「私」は、他人を軽んじていると思います。

OPENと表示されている電子看板

ですが、次の歌詞が、救いになっていました。

このファミレスが全てでいいよそれが私期待しない求めるものはここにもないよ1人でいいんだ

1人でいいんだ、ということは孤独を受け入れていることになります。こういった心境であれば、他人を軽んじることはないと思いました。

他人を軽んじることがなくても、「私」が一人ぼっちであることには変わりありません。

テーブルごとに世界ができて、とか未来の遺書、また、遺したい言葉が浮かんでこない、という歌詞も孤立感を感じさせる言葉でした。

主人公は、家以外の居場所をファミレスとしています。

ファミレスしか行くところがないのは、確かに生きていても空しいという空虚さがあると思いました。

だから、ファミレスで遺書を書いてしまうのです。

人生に積極的な意味を見出せない主人公の態度は、まさに厭世的でした。

のら猫ひろしは、群れたい衝動をコントロールできれば幸福になれるという考え方が好きでした。いわゆるペシミズム(厭世)哲学というものです。

ショーペンハウアーは、若いうちに孤独になじみ、それを愛することができれば金鉱を掘り当てたようなものだと言いました。

ペシミズム(厭世)哲学の根底には、孤独があるのです。

「AM1:27」の「私」は、群れることに意味を見出していません。そして、彼女は「AM1:27」のファミレスで、1人でいいんだと覚悟を決めました。

だから、「AM1:27」という楽曲は、ペシミズム(厭世)哲学に通ずる世界観になっています。

終わりに

平手友梨奈さんは、シングル曲8作を連続でセンターを努めていました。また鈴本美愉さんは、「アンビバレント」において平手さんの代役センターを務めています。

そして、小林由依さんも、平手さんの休養中に、「ガラスを割れ!」のセンターになりました。

だから、なんとなく孤高のアイドルといった見方のできる3人が歌う曲が、厭世観に満ちていることも納得できます。  終わり



■AM1:27■
「AM1:27」は、ファーストアルバム「真っ白なものは汚したくなる」の収録曲でした。

作詞は秋元康さん。歌唱メンバーは、平手友梨奈さん・鈴本美愉さん・小林由依の3人です。