歌詞の意味を考察・・・「こんな」に込められた感情
主人公は、整列という名の抑圧を嫌っている
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そういったこともあってますます、乃木坂46のような、慎ましくてすっきりとした印象を持つようになりました。
控えめで、物静かといったところです。
整列から抑圧が想起されますから、むしろ、欅坂46が歌ったほうがぴったりではないかと思っています。
それほどに、『こんな整列を誰がさせるのか?』からは、欅坂46のグルーブコンセプトである、権力に屈するなと同じメッセージが感じられました。
例えば、欅坂46の6枚目シングル「ガラスを割れ!」にある歌詞は、どこへも走り出そうとしない日和見主義のその群れに紛れていいのか?とあります。
日和見主義のその群れというのは、まさに、『こんな整列を誰がさせるのか?』の「僕」がこんな整列と嫌悪感を抱いた集団でした。
さらに、こんな整列僕たちをどうするんだ? 服従を試してるのか 付き合いきれないよという歌詞からも、大人に支配されたくないという、欅坂46のグルーブコンセプトと同じです。
では、なぜ、「僕」は整列に嫌悪感を抱いているのでしょうか。
考えず生きてく練習そんなものいらない
ホイッスル吹かれたら、反応してしまう命令されて動くだけさ一糸乱れぬ教育
これらの歌詞から、「僕」は、洗脳を嫌っていることが理解できます。
確かに、ホイッスルでしか動けない体に、好感を持つことはできません。
人間の魅力は笑顔にあるのです。笑わない人間は、工場に並べ立てられて出荷を待つロボットにしか見えないでしょう。
だから、こんな整列と吐き捨てるような言い方をする「僕」に共感できました。
終わりに
『こんな整列を誰がさせるのか?』の歌詞に一糸乱れぬ教育とあります。主人公は、その一糸乱れぬ教育に反感を持っていました。
なぜなら、主人公は、教育は洗脳と考えているからです。もちろん、学校に従順であれば、軋轢はないでしょう。
そういった意味で洗脳にメリットがあると言えました。
学校やクラスのまとまりに一貫性があれば、学校運営が捗るわけです。
ですが、主人公は、そんな洗脳じみた教育をこんな整列、と忌み嫌っていました。
上層から下層への意思疎通が一方的であれば、それは指示待ちの人間が生まれるだけです。
また、上層部に依存する体質になってしまう恐れもありました。
その主人公が嫌っている指示待ち人間が、完璧な機械、と表現されているから、『こんな整列を誰がさせるのか?』に感情移入できるのです。 終わり
■こんな整列を誰がさせるのか?■
『こんな整列を誰がさせるのか?』は、けやき坂46名義ファーストアルバム「走り出す瞬間」(2018)に収録されています。作詞は秋元康さん。
センターは佐々木美玲さんで、フロントは高本彩花さん、加藤史帆さん、斎藤京子さん、柿崎芽実さんでした。
センターは佐々木美玲さんで、フロントは高本彩花さん、加藤史帆さん、斎藤京子さん、柿崎芽実さんでした。