欅坂46「キミガイナイ」歌詞考察。孤独とは何か考える | のら猫ひろしが坂道のぼる (のら猫ひろし)

欅坂46「キミガイナイ」歌詞考察。孤独とは何か考える

歌詞の意味を考察・・・「僕」が考える孤独とは


キミがいないことで楽しめない状況が孤独である

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キミガイナイ
「キミガイナイ」 の歌詞には、些細なことで喧嘩とあり、本当の孤独は誰もいないことじゃないとあります。

これを踏まえるとタイトルの意味がわかりました。

ボクガイテキミガイナイから寂しいのです。

また、歌詞には誰が聴いているのだろうマーラーの憂鬱な交響曲今心は空っぽだとありました

この歌詞からも、孤独を連想することができます。

のら猫ひろしは、孤独を肯定的に捉えていました。もちろん、孤独であることのデメリットを放置するのは危険と考えています。

更生保護施設においてのアセスメントなどの心理査定においては、孤独は危険な状態とされていました。

なぜなら、受容欲求が満たされていないと、非行に走る傾向にあるからです。だから、確かに、孤独の不快感を軽く考えてはいけません。

孤独に寂しさを感じる「僕」は、内面が充実していない

ただし、19世紀の哲学者ショーペンハウアーは、人付き合いを、自分を捨てる行為とみなしていました。

寂しくて、顔をあわせても、かみ合わないのが、人付き合いです。

かみ合うところまで気を使ったところで、果たして孤独感を払拭できるのだろうかということになります。

さらに、ショーペンハウアーは、一人でいられないからと孤独感を不快に思う人間には、自分がないと言っています。人とつながりたいのは内面が豊かでないからということでしょう。

ということは、君のいないこんな宇宙枕を投げて叫ぶ、「僕」は内面が充実していないことになります。

内面が豊かでないと、SNS疲れに陥ってしまう

「君」がいないことで、「僕」は枕を投げたり叫んでしまいます。

それほどに「僕」は、孤独を嫌っているのでしょう。そして「僕」は、孤独に陥っている状況に納得がいっていないようでした。

なぜなら、次の歌詞があったからです。

ふと愚かな自分が嫌になる

「僕」は、孤独でいる自分が嫌になっていました。しかも、愚かだと考えています。そして、社会問題化しているSNS疲れが思い浮かびました。

SNS疲れの何が問題なのでしょうか。

孤独を嫌う人は、面識がない人とも繋がりたい欲求があります。

SNS上だけですと、華やかな面しか目につかない傾向がありました。

そして、面識がないのに、SNSで知った同年代の方が優れているように思って劣等感を感じてしまう人もいるようです。

一人では、劣等感を拭い去ることは難しいでしょう。だから、ショーペンハウアーが言うように、孤独であっても平常心を保てる精神状態が必要なのです。

そして、「僕」は、孤独を感じて枕を投げてしまいました。しかも叫んでいます。

そんな「僕」に、ショーペンハウアーを持ち出しても、19世紀にはSNSなんてありませんから、響かないでしょう。

孤独でもいいと大人が考えても、「僕」のような若者の孤立のリスクは考慮しないといけません。

終わりに

孤独なのは自分に価値がないからだ・・・と考えてしまうと、内面を充実させることができなくなりますから、そこは「キミガイナイ」の「僕」だけでなく、孤独に耐えられない大人たちも、注意が必要です。

SNSだけではありません。群れれば孤独じゃないというのも、世間からの刷り込みです。孤独だ孤独じゃない、と繰り返して情緒が不安定では絶対に内面は充実しません。

だから、「僕」が、孤独は危険だけれども孤独が好き、と思えたら「君」がいなくても平常心でいられることでしょう。 終わり


■キミガイナイ
「キミガイナイ」は、2016年春に発売されたファーストシングル「サイレントマジョリティー」のカップリング曲でした。

また、ファーストアルバム「真っ白なものは汚したくなる」(2017)の収録曲になります。

歌詞は秋元康さん。